漫才師をめざしたのは小学校4年生くらいのときに漫才ブームで、ツービートさん、紳助・竜介師匠、オール阪神・巨人師匠、西川のりお・上方よしお師匠、今いくよ・くるよ師匠が“若手“と呼ばれてテレビで漫才をバンバンするのを見ていたのがきっかけです。

僕は大阪市内出身で、「かっこいい」とかはないですけど、「おもしろい」と言われると嬉しい民族で(笑)。「おもしろい」と言われることに、かっこよさを感じでいました。

高校卒業後はCMプランナーの専門学校に通っていましたが、そこでへびいちごの島川(さん)と同級生だったんです。ふたりで漫才師になろうということになって、NSCという吉本の養成所に入りました。

ある日、市営住宅で同居していた祖母に芸人になると話したら「市営住宅に住んでる人は芸人になられへんらしいで」と。今考えたら無茶苦茶な話ですが、おばあなりの止め方だったんだと思います(笑)。当時の僕は、なぜかおばあを信じて「それはしゃーないな」と納得しました。で、島川(さん)にこの話をすると、島川(さん)も、「へー。そりゃしゃーないなー」ってなったんです。でもそのままNSCには通っていて、そうこうしているうちに縁あって今の相方の矢野(さん)に出会いました。それが矢野・兵動の始まりです。

その後デビューしましたが、1.2年でトントンといって新人賞をいただいたり、給料も思ったより悪くなくて、「え!こんなラクにいけんねや!」と思っていました。でも4年目ぐらいから仕事がほとんどくなって、アルバイトをしながらつなぐ時期が10年ほど続きました。今思えば、その頃はきつかったですね。

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