よくある質問 お問い合わせ

SAKURA NAVI やりたい仕事、見つけよう!

  • >  続・こうすけの西宮散歩

謎の西宮市民、こうすけさんが西宮をお散歩。休日の散歩コースやデートのご参考に。 続・こうすけの西宮散歩 〜地元で過ごす週末〜

こうすけの 西宮松紀行

夙川のオアシスロードを海に向かって歩いていると、阪神電車の踏切に足を止めさせられることがあった。電車が大好きな幼い頃のこうすけちゃんは、足止めされてむしろ大喜び。もっともこれは15年前も昔の話。今では香櫨園駅は高架駅となっており、遮断機を見ることもなくなったし、カンカンと高鳴る警報機の音を聴くこともなくなった。

 

 

本日の西宮散歩は阪神電車の香櫨園駅からスタート。高架駅となって生まれ変わった後も、粋なことにかつてのレトロな駅名標は保存されている。また風情のあることにプラットホームの川の上にはテラスが設置され、電車の待ち時間に夙川の流れを直接的に感じ取ることができる。

 

 

どういう訳か本日同行することになった家内殿に訊いてみたところ、香櫨園駅の踏切のことなんて覚えていない様子。踏切に関心がない人にはそんなものなのだろうが、プラットホームにあるテラスはお気に召したようである。

 

 

テラスから見て感じる夙川は、「さくらの夙川」というよりは「松の夙川」である。濃緑の松に見とれていると間もなく電車がやって来たのでそれに飛び乗る。

 

 

DSC_0305

 

阪神電車に乗って降り立ったのは甲子園駅。ここから少し散歩でもいたしましょうか。

 

 

改札を出て先ず目に入ったのは大きな缶ビールのモニュメント。その昔、大のビール党だった私こうすけ、一生のうちでマルビル一杯分くらいのビールは飲むことができるかな?と本気で語り合っていたものだった(当時、近畿のローカルニュースで、近畿地方のひと夏のビールの消費量を梅田のマルビル○○杯分と表現するのが風物詩だった)。

 

さてさて、マルビル一杯分のビールを消費することが出来るかといえば、今では降伏の白旗を迷わずに揚げる。マルビル一杯は無理だとしてもこのモニュメントぐらいなら飲むことできるんじゃないの?具体的に算出してみようというような根気はなく、ただ当てずっぽに、

 

 

こうすけ「このモニュメントくらいのビールなら一生のうちに飲むことになるのかなぁ?今日も暑いので、、、、、。」

 

家内殿 「あら?昨日たらふく飲んだのだから、今日は飲まないんでしょ?」

 

こうすけ「、、、、、、。さよう。今日は飲まない日です。」

 

 

昨晩の飲み過ぎを咎められて、南へ歩き始める。

 

DSC_0307

 

 

ご存知の通り、甲子園球場は枝川という川を埋めて建てられた球場なのだが、その痕跡はよ~く観察すれば見えてくる。川の右岸にあたる球場観戦者のためのお土産物店がならぶ一画には、かつての川の堤の面影を残す斜面が今なお残っており、川の岸にあった名残の松が今なお濃い緑をみせる。

 

 

DSC_0308

 

本日、甲子園駅で下車した理由は、鳴尾図書館で開催されている西宮歴史資料写真展に行くためである。甲子園球場の横を通り、阪神パークの跡地に建てられたららぽーと甲子園の北側沿いの道を東に進む。

 

 

写真展は「ナルオ 青き空 白き砂」と題されており、主に鳴尾・甲子園の昔の写真が展示されている。私が生まれる以前の写真も興味深いが、やはり懐かしい阪神パークやデラックスプール、レオポンの写真に釘づけとなる。この街の移ろいを主題とした写真展は好評を博しているそうで、きっとまたどこかで開催されることだろう。それを愉しみに鳴尾図書館を後にする。

 

DSC_0313

 

 

もう9月になったというのに残暑は厳しく、ららぽーと甲子園に行こうよという家内殿の意見を一蹴し、苦痛の表情をうかべて鳴尾周辺の散歩をする。阪神電車の鳴尾駅は下りはすでに高架化されているものの、上りは工事中のようで電車は地上を走る。当然そこには踏切がある訳で、カンカンと警報機が鳴って遮断機が下りてきた。上りの高架が完成するとこの踏切もなくなるのだろうなぁ。もちろん踏切は交通安全上危険なものであるから無くなるに越したことはないのだが、足止めされて喜んだり、悔しがったりといった風景は消えていき、カンカンという音も懐かしの音になっていくのだろう。ここに踏切があったというようなことが写真展で紹介されるようになるのだろう。これも街の移ろいなのか。

 

 

DSC_0316

 

踏切を横断して鳴尾駅の北側に出る。左手には鳴尾八幡神社の松の木が見え、それを背にして東に進むと、住宅に囲まれた一画に鳴尾の一本松がある。以前、さくらFMと西宮市立郷土資料館が主催する「文化財ウォーク」という企画に参加した際、ここでこの一本松についての講義を受けた。

 

 

郷土資料館の学芸員さん「この鳴尾の一本松は、東は山城国との境、西は播磨国との境にまでその影を映したという伝えがあります。山城国の境は東へ37キロ、播磨国の境は西に25キロ離れています。東の方向には冬至の夕方が最も影が伸びる時で、試算いたしますにその時の松の高さは10キロ。西には夏至の朝が最も影が伸びまして、その時の松の高さは9キロになります。」

 

 

であれば、往時の鳴尾の一本松の高さは9~10キロということになり、東京スカイツリーなんてなんのその、エベレストよりも高い松がここにあったということになる。伝説であると承知しながらも、さすがに郷土資料館の学芸員ともなると、当てずっぽでなく、具体的な算出に根気を持って挑むようである。どこかの誰かとは大違い。

 

 

一本松の傍らには、解説の案内板があり、

 

「 我が身こそ 鳴尾に立てる 一の松  よくもあしきも 亦たぐひなし 」 (慈鎮)

「 つねよりも 秋に鳴尾の 松風は  わきて身にしむ 心ちこそすれ 」 (西行)

「 四方に名も 高く鳴尾の 一の松  雲の山まで 生ひのぼりけり 」  (大国隆政)

 

と西行法師をはじめ古今の和歌が紹介されている。詩歌に詠まれた鳴尾の一本松は、青き空、白き砂という鳴尾の浜の風景に力強い濃緑を描いていたのだろう。その松も長い歴史の中で枯れ果てて、ここにある松は五代目だという。五代にわたってここに松は生き続けている。

 

DSC_0318

 

 

松を詠った歌といえば、この歌を思い出す。

 

「 ふりつもる 深雪(みゆき)に耐へて 色かへぬ  松ぞ雄々しき 人もかくあれ 」

 

この歌は終戦後まもなく詠まれた昭和天皇御製の歌で、敗戦に打ちひしがれた国民に松のように雄々しく歩むようにとの御心が表れる。冬の寒さにも、夏の暑さにも松はその色を変えることなく、雄々しく生き続けている。

 

そして、松は、私たちの暮らしを、街の移ろいを、色も変えずに見続けている。松は川が埋め立てられて球場が建設される様も、踏切がなくなっていき街が変容していく様も黙って見続けているのである。そんな中で、色を変えぬ人間の生き方というのも考えさせられるし、雄々しき生き方は人だけでなく街にも求められるような気がしてきた。

 

色変えぬ、雄々しき生き方とはどういうものなのか?

 

今日見てきた松の他にも、市内にはたくさんの松があって、それらを訪ねて、その声を聴いてまわるのも一興かもしれない。

 

DSC_0317

 

さてさて、暑い中ぶらぶら歩き回ったので喉も渇いてきた。香櫨園駅のテラスではご機嫌だった家内殿の表情も険しくなってきた。ということで、とある中華料理店に入る。少し遅くなったが昼食にしよう。

 

 

家内殿 「私は海鮮あんかけ焼きそばにするわ。」

 

こうすけ「じゃぁ、私はチャーハンにしよう。それと生ビール!」

 

家内殿 「えっ?今日は飲まないんでしょ?」

 

こうすけ「ええがな。ええがな。」

 

 

DSC_0320

 

午前まで「今日は飲まない日です」と決めていた心の色をあっさり変える全く以って雄々しくもないこうすけさん。

 

 

家内殿 「少しは反省しているの?」

 

こうすけ「反省してますよ。昭和天皇御製の歌まで持ち出して、全く面白くない真面目ぶった文章書いたりしてねぇ。次号は少しくだけた内容にしますよ。」

 

家内殿 「そうじゃないでしょ!!!」

 

 

こういうとぼけたことを色も変えずしゃべることができるのは、雄々しいとは決して言わないことだろう。カンカンと人生の警報機が高鳴りそうである。

今日のオコトバ

ふりつもる 深雪(みゆき)に耐へて 色かへぬ
           松ぞ雄々しき 人もかくあれ

(昭和天皇)

終戦後まもない昭和21年の歌会始での昭和天皇御製の和歌。どんな困難なことや時代の変化に直面しても色を変えぬ松のように人もありたいとのお気持ちを歌われた。就職活動においてどんなことがおきようとも自分の色は変えないでくださいね。くじけそうになったら西宮の松の声を聴きに行ってみよう。